思い返せば311のあと、
3日後には車に荷物を詰め込んで旦那さんの実家のつくばを出て
岡山、徳島と滞在して、たどりついた大分県日田市中津江村。
すぐに住める家と畑があったので、九州に家を探しに来たその日に今の家を即決した。
その時の私達は山に住むということを全然分かっていなかった。
関東平野で育った私達には山暮らしの厳しさなんて知るはずもなかったわけで...。
冬の厳しい寒さや湿気の多さ、自然災害など、
住んでみて初めて知る事も多かった.....。
辺境地の中津江村は村民の2人に1人が65歳以上の超高齢化。
標高400~800mと山間部の中津江村は限界を超えた集落も多数。
正直なところ、私達もずっと住むには厳しすぎる....
と当初から思っていたので他の土地で家を探していた。
熊本、福岡、大分、中国地方まで周りいろんな所を見に行ったけれど
希望に合った家がタイミングよく見つかるわけでもなく、
翌年の農業のことも考えられずに、完全に行き詰っていた。
けれど、去年の11月にとうとう私達の気持ちは決まった。
きっかけは大宰府の「カフェほよも」に行ったこと。
そこはご夫婦で人生相談をしているマクロビのカフェ。
そこで、私達は自分達の”魂の本質”を見てもらった。
人は魂が喜ぶ生き方をすると応援される。
逆に魂の声を聞かずに自分本意なことをしていると、何事もうまくいかない。
輪廻転生して受け継がれてきた魂が、今何を求めているのか?
中津江村に来たのもきっと自分達に何か役割があるような気がする
自分達の「ああしたい」、「こうしたい」ではなくて
目の前の状況を受け入れて、必要なことに取り組んでいったらいいのでは。
と思えるようになったのです。
そう思えるようになるとすぐに、
中津江村の農林支援センターで働かないか、と旦那に声がかかりました。
そこは村の農業と林業を支えている会社で、まずは農林業のいろはを学んでから
将来的には自分達のやりたい(環境保全型の)農業を確立していったらいいと
そこの親方さんは言ってくださったのです。
他にも色んな人が手を差し伸べてくれるように後押ししてくれるのです。
流れは中津江村でやっていくことになりました。
人間は自然によって生かされている。
その自然を守り再生させていくことが、今一番必要なのは間違いない。
山では農業も林業もどちらも切り離せない大切な仕事。
必要とされる所で、やるべき事をやっていき、
それで少しでも自然環境を守っていけるならば、とても意味のある事だし
自分達や子供達の世代のためにも、重要なことだよね。
そう思えたら、とても楽になり、希望がわいてきた。
それに”水がいい”というこの村の良さにも改めて気がつくことができた。
この2年半、数々の失敗や苦労をしてきたけれど、
こういう心境になる為には全てが必然だったんだなと思う。
けれど、言うのは簡単で、やるのはとっても大変です....。
どこまでやっていけるか分からないけれど
とにかく、やっていく場所は決まったのです。
ここからが私達の本当のスタートになります。
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