2014/02/01

材料の見積もり~発注

家と納屋の片付けは8日間くらいでほぼ片付いたので
次は必要な材料を揃えるために、直しに必要な材料の見積もりを立てた。

手前の8畳の2部屋は畳の部屋に。
奥の6畳の2部屋は床部屋に。

束石、束、大引、根太、敷居土台、床材、その他もろもろ…
それぞれ必要な数を出して見積もりを出す。
一箇所づつ状態を見て、使える所はそのまま使う。

これがまた頭を悩ます大変な仕事だった。
使われてる材料を割り出すことで、家の構造が分かりとても勉強になった。
時間とお金と手間の折り合いをつけながら、考えること5日。
ようやく見積もりが出たので、木材は地元の製材所さんにて発注。
足りないものをホームセンターで買い足す。

あとサッシと窓とドアも入れたい箇所があるので、
中古で調達できないか地元の人々に聞いてみると、
もう使わないからと古い建具などが少しづつ集まり始めた。
ほんとに、ありがたいのです。

そして今日、注文していた木材が来たので、これで基礎と床材は全部揃った。
地元の材から製材したばかりの木材を使う。とっても贅沢です。
明日からは大工仕事に入れるかしら。。





2014/01/20

片付け終盤

家の中の荷物もほぼ片付き、すっきりした室内。
土間の玄関と和室。
 田の字に4部屋。手間二部屋がタタミ8畳。奥の二部屋が床6畳。
間仕切りがなければけっこう広いよ。
奥二部屋も屋根に明かり取りがあるので、明るい日差しが入るのがいい。

そして、畳をはがして床板はがしてみると、床下の状況があらわになった。
ネダや大引きが腐ってたり、シロアリにやられていたり、
これはけっこう大掛かりな仕事になりますね…。
でも、大引きとネダはかなり立派な木が使われているのに驚く。
土壁はこのとおりボロボロ…。
この土壁は完全に撤去して壁を作り直すことになるでしょう。

これで何処をなおさなきゃいけないか、分かってきた。

昔の家ってほんとに簡単な構造で作られていて、
床下のツカや大引きなんかはただ置いているだけだったりして…。
素人の私たちでもこれでいいならできるかも、と思うところもある。

でも今回この空き家大改修は、
すぐ近くに住む友達の大工の俊ちゃんが全面的に協力してくれるから心強いのです。
去年の5月に中津江村に移住した俊ちゃん家は同じ集落の300Mくらい離れた近所。
だから大工道具はほぼ揃っているし、木材も倉庫にストックしているのを
使わせてもらえるのもあって、自分達でやれる見通しなのです。
資材はだいぶ買い足すことになるけれど…。

どうゆう素材を使うか、どうゆう方法で直すか、一個づつ勉強しながら
2月いっぱいで直しを完了させて引越しができたらいいなと思う。

2014/01/17

生コン流し

納屋の片付けもだいぶ進み、ようやく地面がすっきり見えてきた。
でも地面が土間な所もあって、湿気が多い土地だから物を貯蔵するにはあまり良くない。
近所の人が生コン車に乗ってるのでさっそく聞いてみると、
”捨てコン”がでたらもってきてくれるとのこと!
捨てコンとは、作業現場で余ったコンクリートで、捨てられて産業廃棄物になるそう。
でも、いつ余りが出るか分からないまさに生モノ。

数日後、、さっそく生コンが出たから今からもっていく!と連絡があり
急いで地面が低い箇所に、陶器や瓦や食器を割って敷き詰めて平行にした。
埋め立てゴミに出す割れ物がたくさんあったので、ちょうどよかった。
ガシャーン、ガシャーンと金槌で思い切り割るの楽しい♪

そして、でっかい生コン車が家の前にドサーっと生コンを落としていった…。
ちょっとびっくりしたけど、絶妙なタイミングで生コンやってきた!
かっちゃんが一輪車で生コン運んで、私が端から左官ゴテで平らに均していく。
生コン重いし砂利が多くて均すのにけっこうな力がいる。
生コンというくらいだから、早く作業しないと固まると思って急いでやってたら汗かいた。
でも、こんな寒い時はそんなにすぐ固まらないのね…。

ほんのちょっと端っこ足らなかったけど、ほぼ一面生コンを流せた。
作業としてはほんの1時間くらいだったかな。
まさか生コン作業をするとは思ってなかったけど、案外できるものだね。
これで、この納屋の環境はだいぶ良くなった。
こうやって、この家を直していくことが色々な経験になりそうだなぁ。

生コン欲しいなっと思ったタイミングで、すぐ生コンが来るなんて、
普通なかなかありえない事で、幸運な話です。。

2014/01/16

片付け中盤

家の中が大半片付いてきたので、次は納屋の片付けへ

この家は大きな納屋が2つもあり、物を置く場所はたくさんあるのです。
だから、納屋の中にも物がぎっしりと・・・
 手前にある物から次々に出しては仕分けを繰り返す・・・
漬物樽がいくつも出てきて、年代物の梅干しや漬物がでてきた。

納屋の2階もこのとおり・・・
そして、この家のゴミで一番多いのが大五郎の焼酎ボトルの多さ。
すごい量、とにかく大五郎の空きボトルがすごい量だった・・・
こっちの人お酒飲むものね~、きっとお酒が楽しみだったんだなぁ~。

北側の納屋はこんな感じで・・・
 とにかく物が山積み状態で・・・
 衣類・食器・大工道具やら雑多な物がごちゃ混ぜで・・・
途方もない作業に、何度となく遠くを見つめてしまったことか・・・

寒い作業の合間の楽しみがご飯とお茶時間。
ドラム缶で家の前にも焚き場を作り、お昼ご飯は七輪に炭を入れて温め調理。
炭で調理して外で食べるご飯は美味しいね。

2014/01/13

新居

中津江村でやっていくことを決めてから、
村の中で借りれる条件のいい家がないか探していたところ。。

年明けてすぐに新しい家は決まりました。
今度引っ越す家がここ。
引越し先は同じ中津江村の「中川内」という集落の空家。

3月からかっちゃんがお世話になる仕事先の親戚の方の家で、
年末に「あの家はどうだ~?」と紹介されて、
年明けに「あの家片付けていいぞ~」と話はトン、トンと決まった。

冬場の日当たりはまぁまぁだけど・・・
山の美味しい水が引けるのと、家のすぐ目の前に田畑があり、
風呂が薪風呂だし、高台にある家なので空気が澄んでいて環境はいいです。
すぐ近くに家もなく、何より自由度が高いのです。

この家は大黒柱や梁はとても立派で純日本家屋の造りだけど、
平成17年頃から空家で、かれこれ8年人が住んでいない家なので、
当然人が住んでいないと家の痛みはひどいです。
床下はかなりやられているし、土壁はぼろぼろ・・・
サッシも入っていなくて、窓は木戸だけなので、隙間風をなくすには手がいる。
正直言ってかなりの修繕が必要ではあるけれど、
田舎で空き家に住むには、修繕が必要になってくる場合が多い。
これは経験しなさい、ということなんだろうなぁ~と思うのです。
全ては流れです。
この家を自分達で直して、居心地のいい家にしていく。
大変だけど、創造していくのがまた面白い。

そして家の中には、、荷物がそのままに・・・
まずは家の中の物を仕分けから、
燃やす物、金物、プラスティック類、ビン、カン、資源ゴミ…
 タンスの中にも衣類やら書類がカビとホコリにまみれている
いろんな物が出てきて、当時の住んでいた人の生活感がうかがえて
人様の荷物を片付けるのはなんだか複雑な気持ちになりますね・・・。
ものが出るは出るは、ゴミ袋の数も40~50袋はあったと思う。

戦前の物がない時代から、戦後の石油製品つまりプラスティックが普及していき
高度経済成長で物が大量生産、大量消費されてきた時代の流れが、
この家1軒片付けているだけでよ~く分かるのです。

家庭の中に物が溢れて豊かになったようだけど、それが本当の豊かさだったのか?
山仕事で代々生きてきた人の生活にどう影響していったんだろうか?
どうして、この家は人がいなくなり空家になってしまったのか?
実は全部つながっている話で、とても考えさせられる。

結局、この家に溢れた物は、今回私達の手で仕分けされ、使える物、使えない物、
資源ごみ、粗大ゴミに分類されて、処分されるものが大半である。
こんなに物を捨てなければならないのは、本当に悲しい。

それにしても、この冬の一番寒い時期に暖房なしの作業はこたえる・・・。
けっこう厚着して防寒してるけど、冷え込んでる日は私は寒くて動けない。
家の横の畑で、燃える紙類などは焚き火で燃す。
この焚き火が唯一の暖。
おやつは焼芋。
やっぱり火はいい。

寒さに耐えながらの家の片付けはまだまだ続きます。



2014/01/12

やっとの決心

思い返せば311のあと、
3日後には車に荷物を詰め込んで旦那さんの実家のつくばを出て
岡山、徳島と滞在して、たどりついた大分県日田市中津江村。
すぐに住める家と畑があったので、九州に家を探しに来たその日に今の家を即決した。

その時の私達は山に住むということを全然分かっていなかった。
関東平野で育った私達には山暮らしの厳しさなんて知るはずもなかったわけで...。

冬の厳しい寒さや湿気の多さ、自然災害など、
住んでみて初めて知る事も多かった.....。

辺境地の中津江村は村民の2人に1人が65歳以上の超高齢化。
標高400~800mと山間部の中津江村は限界を超えた集落も多数。

正直なところ、私達もずっと住むには厳しすぎる....
と当初から思っていたので他の土地で家を探していた。
熊本、福岡、大分、中国地方まで周りいろんな所を見に行ったけれど
希望に合った家がタイミングよく見つかるわけでもなく、
翌年の農業のことも考えられずに、完全に行き詰っていた。

けれど、去年の11月にとうとう私達の気持ちは決まった。

きっかけは大宰府の「カフェほよも」に行ったこと。
そこはご夫婦で人生相談をしているマクロビのカフェ。

そこで、私達は自分達の”魂の本質”を見てもらった。

人は魂が喜ぶ生き方をすると応援される。
逆に魂の声を聞かずに自分本意なことをしていると、何事もうまくいかない。

輪廻転生して受け継がれてきた魂が、今何を求めているのか?

中津江村に来たのもきっと自分達に何か役割があるような気がする

自分達の「ああしたい」、「こうしたい」ではなくて
目の前の状況を受け入れて、必要なことに取り組んでいったらいいのでは。
と思えるようになったのです。

そう思えるようになるとすぐに、
中津江村の農林支援センターで働かないか、と旦那に声がかかりました。
そこは村の農業と林業を支えている会社で、まずは農林業のいろはを学んでから
将来的には自分達のやりたい(環境保全型の)農業を確立していったらいいと
そこの親方さんは言ってくださったのです。

他にも色んな人が手を差し伸べてくれるように後押ししてくれるのです。

流れは中津江村でやっていくことになりました。

人間は自然によって生かされている。
その自然を守り再生させていくことが、今一番必要なのは間違いない。

山では農業も林業もどちらも切り離せない大切な仕事。
必要とされる所で、やるべき事をやっていき、
それで少しでも自然環境を守っていけるならば、とても意味のある事だし
自分達や子供達の世代のためにも、重要なことだよね。

そう思えたら、とても楽になり、希望がわいてきた。

それに”水がいい”というこの村の良さにも改めて気がつくことができた。

この2年半、数々の失敗や苦労をしてきたけれど、
こういう心境になる為には全てが必然だったんだなと思う。

けれど、言うのは簡単で、やるのはとっても大変です....。
どこまでやっていけるか分からないけれど
とにかく、やっていく場所は決まったのです。
ここからが私達の本当のスタートになります。





2013/12/25

おこた

昨日の夜、つくばの家に帰省。
久々に近代的な住宅の快適さをかんじる。
アワもかなり居心地がいい様子で
こたつでうたた寝 。。


年末は実家でゆっくり過ごそうと思う♪